明日、師匠(奥さん)が鑑定するお客さんの
鑑定書に大運を書き込んでいく。





※今日は算命学の話なので興味のない人は
読まなくても構わない。

ただそこまで専門的な話ではないし、
他の事柄にも通ずる話でもあると思うので、

とりあえず読んでみてやる、というのも
悪くないだろう。

時を戻そう。






AIが台頭するこのご時世に、
こればかりは手作業である。



理由は2つある。




①全部活字だとセンセーの頭が働かない

これは本人がそう言っている。
俺が手伝うようになる前は自分で
手書きしていた。

説明が難しいが、
“ノッて”鑑定出来るかどうかは
こういう細かなことにかかっているのだ。





②書き間違いのところに“何か”ある。

手書きだと、そりゃあ間違えることもある。
その間違えたところに当たる、
お客さんの年齢のときに大きな出来事が
あったりする。

「12歳から21歳までで何かありました?」
「いやその時期大変だったんですよ~!」

てなことがある。





この2つの理由はどちらも、
科学的根拠のない、どちらかというと
オカルト要素の強いものかもしれん。




でも“俺たちは”
こういうのを信じて大事にしてる。



言葉で明確な理由は説明しがたいけど
実際にそうなってる(と、思ってる。)






それともうひとつ。


二次的だが
手書きのとても良い点がある。


それは…





弟子(この場合オレ)が育つ。




今日いちばん言いたかったのはこれだ!


手書きするときに弟子は、
干支からに変換するいわゆる
「星出し」


繰り返しやることによって
覚えてしまうのだ!



それこそ九九をソラで言えるように

「これとこれで貫索!」とか
「え~っと天恍!」とか

スラスラ出るようになるのだ。




うちの奥さんは売れっ子なので、
この作業はほぼ毎日になる。
そんなんやってたら誰でも覚えるわ。



でね、何が言いたいかというと、



反復でしか身に付かん物もある


ということ。



それを特に、
算命学を勉強してる
あなたに言いたい!




「難しい~!算命学わかんないです~!」
という人が多いけど、違うのよ。



あなたが面倒くさがり
なだけなのよ!



理論自体はとても単純。
九九を覚えるところまで頑張りゃ
グンと深いとこまでいけるよ!



でもそこまでは
筋力なのよ。



いくらこっちが


「左手は添えるだけ」とか
「ボールは置いてくる感覚」とか

「リストを柔らかく」とか
「ここでカベを作ってから」とか


色々言ったところで、それをできる
カラダが出来てなけりゃできんのよ。


ちなみにうちの師匠は
「スッと構えて来た球をバーン!と打つ」
みたいなことを言う長嶋タイプ。




毎日素振りしてたら
ある日やっと外野まで飛ぶようになった。
みたいなもんやねん。



カラダに覚えさせなあかんねん。




いいよ。
生年月日入れるだけで必要な情報が
ぜ~~~んぶ出る、



そんなシステムつくって、
それで鑑定すればラクだし無駄がない。


だけどさ、



だったらオマエ要らんやん。
AIでええやん。




アンタの今までの人生経験が、
アンタの脳独自のシナプスによって、
アンタのカラダに染み付いた技法と
繋がってこそ、




アンタにしか出来ん鑑定、
アドバイスができるん違ゃうの?!





そのためには
筋トレ
してくれ。頼む。




いちばん誰でも出来るのに
いちばん避けるポイント

なのよ。マジで。




でもここ出来たらマジで早い。
十大主星の出し方だけでいい。やって。




算命学というのは確かに
理論で体系化できる
「学問」てジャンルだけど、
(いや、はっきり言ってし切れてないとオレは思うけど)




本当の「叡智」は、
肉体にこそ宿ってる
と俺は思うのね。




思考は遅いもん。
しかも要らん会議するもん。




だから「肉体」って意味での「脳」を
鍛えたほうがいいよ。きっと。



「記憶する」ってことだって
考えようによっちゃ機械に負けないさ。




俺たちには

解釈って

強い味方があるじゃないか。




あんたなりの解釈が
瞬時に出るための
記憶の筋トレよ。




やってみて。マジで。
筋肉は正義。







自分が売れっ子鑑定士でもないのに偉そうなこと言ってすみません
相川哲考場
相川智アイカワサトル