先に人間力をアップする、組織力をアップするについて記載した。その際に、算命学の知識があれば、自分軸がわかり、方向性を間違えることがないと記載した。では、その算命学について、今回少しだけ記載したい。
陰陽五行説の時代背景:
・中国春秋時代(前770年~前221年)
多くの学者やたくさんの思想家が現れ、いろんな学問グループを形成した。今日、その学問グループは諸子百家とよばれ、孔子のつくった儒家をはじめ、兼愛の思想を説く墨子の墨家、韓非子で有名な法家、無為自然や万物斉同で知られる老子・荘子の道家が有名である。この諸子百家に、五行学派や陰陽家が含まれている。五行派は五行説を説き、陰陽家は陰陽説をベースに森羅万象を解釈していた。
・5世紀~6世紀
仏教・儒教や歴法とともに中国から伝来したとされる陰陽五行説。その陰陽五行説をもとに、生年月日から運勢や性格診断までできる四柱推命、吉方位などの九星気学などに広がる。陰陽五行説は、春秋戦国時代の陰陽家の鄒衍が、自派の陰陽説に五行学派の五行説を取り入れて体系化されたものの見方・考え方と言われている。
・ ~江戸時代まで
陰陽五行説はやがて、陰陽道(おんようどう/いんようどう)という日本独自の発展を遂げる。春夏秋冬の食事、五臓六腑という概念にまで、あらゆる事象に適用されるようになった。なお、四柱推命が日本に広まったのは、江戸時代からである。四柱推命の学問書「淵海子平」を、日本人の儒学者である桜田虎門が翻訳したことから歴史は始まった。陰陽道(おんみょうどう)は、陰陽寮で教えられていた天文道、暦道といったものの一つ。これら道の呼称は、大学寮における儒学を教える明経道、律令を教える明法道等と同じで、国家機関の各部署で教えられていた技術である。
・ 明治~現在まで
明治政府により、陰陽道や暦道・四柱推命・九星気学など科学的に根拠のないものは一切禁止すると、政府発令が出された!背景としては、アメリカによる開国を迫られた際に、伊藤博文、坂本竜馬などのアメリカ主義者が中心となって“科学“を崇拝し、科学こそが力と、鉄砲を利用し武士を圧倒していった。それ以来、陰陽道、四柱推命などの学問が急速に廃れ、科学は力であるという現在に至る。
しかし、科学だけでは人間の心までは導けないと、昨今、禅なる思想が見直され、“霊性“というキーワードが見直されつつある。アメリカに、開国という手段で国のあり方まで変えられた日本。今後、再び江戸時代までのような陰陽五行に代表される“霊性”を取り戻す波が、今の日本にも訪れていると言えそうだ。
十干・十二支:
十二支の起源にはいくつか説があるが、ここでは月を数える文字だという説で話を進めていく。洋の東西を問わず、古代から一年は十二ヶ月ということになってるが、これは月がその満ち欠けを十二回くりかえせば、またおなじ季節がくるところから、一年=十二ヶ月ということになった。その単位もずばり「月」(つき、がつ)である。 そしてその十二という数が他の時を表わす単位にも使われてきた。 一日も十二支に分け、子の刻、丑の刻などと言い表すようになった。そして、一年も十二支で言い表すようになった。(年の場合、木星の周期も関係があるが。)さらに、その十二支に十干を割り当てるようになった。それは以下の表のように表すことができる。
十干と十二支を組み合わせていくと、十二と十の最小公倍数(つまり、陽と陽、陰と陰の組み合わせのみ)である六十で一巡りとなる。これを年で考えると、生まれて六十年たてば、また同じ干支(えと)の年になる。これが還暦である。もとに戻ると言うわけで赤ちゃんにあやかって赤いチャンチャンコなど赤いものを身につけるという習慣が生まれた。下記が干支表だ。
なお、時の流れは十干は1甲、2乙、3丙、4丁、5戊、6己、7庚、8辛、9壬、10癸という順で繰り返される。十二支も1子、2丑、3寅、4卯、5辰、6巳、7午、8未、9申、10酉、11戌、12亥という順で繰り返し流れていく。十干と十二支が組み合わさって時が流れていく。これで六十干だ。
1 | 甲子 | 11 | 甲戌 | 21 | 甲申 | 31 | 甲午 | 41 | 甲辰 | 51 | 甲寅 | ||||||
2 | 乙丑 | 12 | 乙亥 | 22 | 乙酉 | 32 | 乙未 | 42 | 乙巳 | 52 | 乙卯 | ||||||
3 | 丙寅 | 13 | 丙子 | 23 | 丙戌 | 33 | 丙申 | 43 | 丙午 | 53 | 丙辰 | ||||||
4 | 丁卯 | 14 | 丁丑 | 24 | 丁亥 | 34 | 丁酉 | 44 | 丁未 | 54 | 丁巳 | ||||||
5 | 戊辰 | 15 | 戊寅 | 25 | 戊子 | 35 | 戊戌 | 45 | 戊申 | 55 | 戊午 | ||||||
6 | 己巳 | 16 | 己卯 | 26 | 己丑 | 36 | 己亥 | 46 | 己酉 | 56 | 己未 | ||||||
7 | 庚午 | 17 | 庚辰 | 27 | 庚寅 | 37 | 庚子 | 47 | 庚戌 | 57 | 庚申 | ||||||
8 | 辛未 | 18 | 辛巳 | 28 | 辛卯 | 38 | 辛丑 | 48 | 辛亥 | 58 | 辛酉 | ||||||
9 | 壬申 | 19 | 壬午 | 29 | 壬辰 | 39 | 壬寅 | 49 | 壬子 | 59 | 壬戌 | ||||||
10 | 癸酉 | 20 | 癸未 | 30 | 癸巳 | 40 | 癸卯 | 50 | 癸丑 | 60 | 癸亥 |
時はこの繰り返しで流れている。年は立春から新たな繰り返しが始まる。ちなみに2017年2月4日(立春)から34丁酉年が始まった。それでは月は2月4日から39壬寅で3月5日啓蟄から40癸卯月に変わるというように繰り返される。時間は2時間を1単位とするので日との組み合わせは(この流れは年と月にも当てはまる)。子23~1は子時間で「23時から1時」の意味で江戸時代の子の刻にあたる。
5日で60干を一巡するので次の甲の日までは60干を2巡することになる。年と月の関係では24節気で月は始まる(太陽と月の関係は地球が太陽一周/月の関係で360/12=30度)。一番南側か太陽がでた位置が冬至(日照時間が最も短い)で最も北側から太陽がでた時が夏至(日照時間が最も長い)。子の月は12月だが暦と違い1日がスタートではなく24節気(太陽の黄道角度)が基本になる。
ということで1年の始まりは立春(寅月 寅は五行は木で陽ですから甲の参謀)から始まる。これが延々と繰り返されるのである。10の干の世界と12支のダースの世界は親子(太陽と月)の関係ということである。
よって、1969年8月2日生まれの人は、下記のような日干支、月干支、年干支、を持つことになる。
・日干支:己酉
・月干支:辛未
・年干支:己酉
これが算命学の基礎となるわけだ。
そして、最も重要となる”自分軸”というのが、日干支:己酉の十干の方である、”己(つちのと)”であり、陰陽五行でいうと、”土の陰干”ということになる。この自分軸(本質グループ)が分かれば、最も大事な時期である成人期(20~39才)での方向性が分かるということになる。方向性が分かるからこそ、目標設定が可能となるのだ。
成人期の目標は自分軸(本質グループ)に乗ること。中年期の目標はレールに乗ること。老年期の目標は老年レールに乗ること。そして生涯目標はカルマの解消というような目標設定ができるということだ。なお、自分軸(本質グループ)の方向性とは、下記のとおりだ。このような方向性に自分の性格が自然となっていくのだから面白い。幼少期・学生から成人期に移行すると、性格が変わっていくのである。
なお、先の”土の陰干”という方向性とは、優しく、熱心であるが、粘着性があり、迷いも多いという性格になる。万物を蓄積する作用があるように、コツコツとお金やスキルをため込むような方向性こそが、開運ポイントになるのだ。これこそが、方向性であり、目標設定のポイントとなる。
こういうことを理解していれば、何を目指し、何をすれば良いのかがわかってくる。逆にこのような事がわからないと、全く違う方向性に向かってみたりするため、開運しないのだ。絶えず、不運な結果に見舞われることになる。だからこそ、算命学を知ることで、このような目標設定のポイントを知ることができるということだ。
いかがであろうか。自分軸(本質グループ)を知るということがどれほど重要なのかが理解できたのではないだろうか。ぜひ、知っておいて損はしないことなのだ。